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仏事あれこれ(12月)

【問い】

亡くなったあと49日間過ごすのは何か意味があるんですか?

女性

【応え】

(3回目です)
49日を通して阿弥陀如来の優しさに遇うことと、亡き方をどのような方として仰いでいくのかを尋ねています。

②二週間目(二七日)は、お釈迦様の優しさを讃え敬います。
若い方から、「亡くなった日を、死亡日ではなく何故、命日というのか」とよく質問を受けます。

大切な方は、単に寿命が尽きて死んだだけではありません。
手を合わす者にたくさんの事を考えさせ、問わせ、気付かせ、歩ませます。
それは亡き人が、死という事実でもって、手を合わす者の命を揺さぶっているのです。

今まで生きている事は当たり前だと思っていたけれども、「いのちの事実(生老病死)」を見つめ直しなさいと揺さぶっているのです。
揺さぶられる方の実感は、寂しかったり、悔しかったり、辛かったり、空しかったり様々です。
そのような実感を、理性でもって平静を保とうとしても、何が何だか分からなくなっていま
すから中々難しいです。

その様な状態の私たちに、その揺さぶられているいのちの意味を言葉にされたのがお釈迦様なのです。
そして80歳で亡くなるまで、揺さぶりの意味を説き続けられました。

揺さぶりの意味を2つに分けると、
①「讃嘆」(さんだん)と
②「懺悔」(さんげ)です。
日常語でいうと①「有難う」と②「御免なさい」です。
①「有難う」とは、私を生かそうとする大きな支えの中で、今ここにこう
している「いのちの不思議」さに出遇えた感動の言葉です。
②「御免なさい」とは、有り難き存在なのに、それを知ろうともしなかった
自分に出遇えた感謝の言葉です。

①と②を、別の言い方で「人身受け難し今すでに受く、仏法聞きがたし今すでに聞く」と述べておられます。
人間は、いのちの長短や、社会的な優劣で人を量り、自分自身をも量ってしまいます。そのようにいのちを分別して止まない私たちに、死をもって大切な事を教える、お釈迦様の様になられたと手を合わせていくことが(二七日)に願われています。

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