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仏事あれこれ(1月)

【問い】

亡くなったあと49日間過ごすのは何か意味があるんですか?

女性

【応え】

(先月の続きです)
今回の問いにはたくさんの方から反響がありましたので、数回に分けて尋ねていきたいと思います。

ご家族にとっては葬儀後から、本当のお参りが始まるといっても過言ではありません。
お骨に成った亡き家族を前に、感謝や後悔、寂しさや空しさが交差する日々でもあります。
また亡き人が49日間、フワフワと彷徨っていると教えられ、ちゃんと供養しなければならないと言われたけれど、これで大丈夫かと不安な方もあると思います。
反対に死んだら終わりと割り切る方もおられます。

そのような不確かな日々の中で、亡き人に手を合わせるとはどういう意味があるのでしょうか。

まず初めに確かめておきたいこととして、49日間を過ごす意味を、「阿弥陀如来の優しさに遇うことを願いとしている」と思って聞いて下さい。
亡き人が、フワフワと迷っているか迷っていないかは、49日を過ごす意味を尋ねた後に確かめる事と
しましょう。

①初七日(阿弥陀如来の不動明という優しさに遇う)→不動とは「動かず」と書き、「事実」と言う意味があります。
事実とは「生老病死」に代表されます身の事実です。
老いることも、病むことも死ぬ事も、多少延ばしたり誤魔化したりすことは出来ても、その事実は動かせません(不動)。
そして葬儀を通して今、目の前にある事実は故人様だけの事実ではなく、手を合わす私の事実でもあることに改めて出遇っていくことが初七日で願われています。
非常に厳しい事実ですが、大切な事に目を向けさせるのが阿弥陀如来の優しさの一つです。
日頃は「事実」ではなく「思い」を中心に生活をしていますが、いつとも知れない大切な今を生きている事から目を背けさせない願いがあります。

初七日を迎える私たちの気持ちとは随分かけ離れているように思いますが、不動のいのちを互いに生き合ってきたことに改めて出遇いなおし、私自身の今が明かになっていく事が亡き人から願われています。
フワフワ彷徨っているのは誰なのでしょうか。

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