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「歎異抄(たんにしょう)に受く」

~ 異(こと)なることを歎(なげ)ぐ~ 其の3

親鸞聖人は、誰もが救われていく道を、易行の一門として分かりやすく開いてくれたので、瞬く間に教えが弘がりました。
しかし親鸞聖人が亡くなられた後、自分勝手に教えを解釈し、救われ方に色々な条件をつけ狭き門にする者が出てきました。
唯円の悲しみが序文から伺えます。

(『歎異抄』序文)
幸いに有縁の知識に依らずば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。

【現代語訳】
良き師に出遇う事がなければ、本願念仏の教えには入る事が出来ないでだろう。
自分の勝手な考えで、他力の教えを乱してはならない。

門(易行の一門)

親鸞聖人は、易行の門に救われました。
易行とは選ばないと言うことです。
それまでは救われていく過程には条件があり、門に入れない者を生み出す難行の一門しかありませんでした。
個人的な救いを必要としていること自体が凡夫である証拠なので、難行の一門では救いが成立しないと親鸞聖人は言われています。

凡夫とは、人間関係で悩んだり、健康やお金のことで一喜一憂したり、何歳になっても思い通りにならない問題に、悩まされる存在を言います。
言い換えれば凡夫でない人はいないという事です。

他力の宗旨を乱すとは

①身(五臓六腑を代表する身全体が昼夜問わず私を支えている)
②口(他より智慧を与えられて頑張れている)
③意(どんなことがあっても生きて往こうとする内なる力が私を支えている)
という三つのはたらきが私を支えています。
その事に心を寄せない生き方を自力と言います。
私の全体に心を寄せないという事は、自分自身に背いて生きているという事です。
自分を主張して止まない生き方に目覚めさせ易行の一門に迎えるはたらきが他力の教えです。
本文では「他力の宗旨を乱すな」と怒りながらも、「もっと自分自身の全体に救われていく易行の一門に入りなさい」と促す優しさが読み取れます。

「異なることは裁く」人間社会の中で、「異なることを歎かれた」唯円の言葉に依っていきましょう。

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