「歎異抄(たんにしょう)に受く」
~ 異(こと)なることを歎(なげ)ぐ~ 其の1
今月から「歎(たん)異(に)抄(しょう)」を受くと題して、教えに学んでいきたいと思います。 「歎異抄」は、親鸞聖人の弟子、唯円(ゆいえん)が、親鸞聖人が亡くなられて25年ごろに編集された「親鸞聖人語録集」です。 ゆっくり、丁寧に親鸞聖人の言葉に向き合っていきたいと思います。
親鸞聖人のこと
親鸞聖人は、1173年~1262年、平安時代の終わりから、鎌倉時代に入る大変革の90年を生きられました。
京都でお生まれになり、若くして両親と別れられた事が縁となり、出家して仏門に入られました。
20年後、出家在家の隔て無しに救われていく本願念仏の教えを説かれていた法然上人の元に行かれ、民衆と共に教えを聞いていく道に立たれました。
法然上人のお陰で民衆に生きて往く力が与えられました。
しかしその事を妬み危険視する他宗派や皇族によって、「承元(しょうげん)の法難(ほうなん)」(1207年)が起こりました。
法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪(るざい)になり、4人の弟子は鴨川にて斬(ざん)首(しゅ)されました。
宗教史上最も悲惨な法難でした。
親鸞聖人は、赦免されても京都へは戻らず、関東を中心に20年余り教化活動(布教)に力を入れられ、朋に生き合う本願念仏の教えを弘められました。
教化活動でも特に力を入れられたのが座談会です。
共に教えを聞きつつ、教えを通した自分の思いを語り合い、他者の声も聞き合う場を大切にされました。
そのような丁寧な教化活動の甲斐あって、お念仏の道場にはたくさんの人が集いました。
夕方に門を閉じても、門の外には人が溢(あふ)れていたと伝えられています。
その頃、関東には山伏(やまぶし)(修験者(しゅげんじゃ))がたくさんいました。
民衆は山伏に加持祈祷(かじきとう)や除災招福(じょさいしょうふく)を依頼していました。
ところが親鸞聖人が、「幸せとは、お願いをするのではなく、自らの心を確かめて歩めば、どんな人も、必ず誰とも比べる必要のない豊かな幸せな人生になるのです」と、仏さまの教えを説いたので、祈祷や招福を依頼する人が減りました。
その事が山伏の怒りを買い、親鸞暗殺計画まで立てられました。
親鸞聖人が弘められた教えは、特別なものではなく、仏さまが説かれた「自分自身に出遇う道」でした。しかしその事が大変な事態を招くことになりました。