真宗の伝承 七高層に遇う 其の百四十二
1212年(建暦)1月25日、法然上人は亡くなられました。享年78歳でした。 親鸞聖人が38の時でした。法然上人を讃えた和讃に、亡くなられた時の様子がうたわれています。
奇瑞の意味
本師源空(法然上人)のおわりには
源空上人和讃
光明紫雲のごとくなり
音楽哀婉雅亮にて
異香みぎりに映芳す
法然上人が亡くなられた時、 ①紫の雲がたなびき、その御一生を ②讃える音楽が奏でられ、 ③妙なる香りが辺りに漂いました。
当時は、臨終のときに、迷わず極楽に往生したのか、阿弥陀如来に迎え入れられたのかを確認するのに、
めでたさを表す紫雲がたなびいたとか、良い香りがしたなど、奇瑞の有無が大変重要でした。
それを受けて親鸞聖人も、師を讃えてこのような和讃を歌われたのでしょう。
しかし親鸞聖人が法然上人の訃報を知ったのは、越後におられた時で、臨終には立ち会っておられません。
にも関わらず、奇瑞を見たかのようにうたわれるのはどういう意味があるのでしょうか。
どう生きたのか
法然上人の歩みを連載させて頂いて思うことは、
その御一生は、たくさんのご苦労が仏道を歩ませる勝縁(①紫雲)となり、
その歩みのお陰で、社会的な立場を超えて讃え合う、たくさんの朋ができました(②哀婉雅亮)。
そしてその朋なる歩みは法然上人亡くなった後に、日本中に弘がって益々盛んになりました(③異香が映芳す)。
私たちは自分勝手に生きつつも、何年生きれるか、死後はどうなるかと心配します。
死んだら終わりだと覚悟しても、やっぱりこの世に未練が残ります。
法然上人も同じような問いを持たれましたが、良き師、善導大師との出遇いのお陰で、臨終を待つことなしに今、
和讃のような浄土を生きる身になり、心配せずとも往生は決まっているのですと堂々と歩まれました。
その法然上人に育てられ、凡夫としての歩みが決定した親鸞聖人だからこそ、
師の臨終に立ち会えなくても、このような和讃をうたうことができたのでしょう。
死後ではなく、今、浄土に往生する道がある事を伝えんとする歩みが今私たちに映芳し続けています。