1. HOME
  2. 書き物
  3. 正信偈を受く
  4. 真宗の伝承 七高層に遇う 其の百四十八

真宗の伝承 七高層に遇う 其の百四十八

親鸞聖人は、自分の努力で救われていく道(自力)を一生懸命に歩まれました。
しかし「これで良し」と中々思えませんでした。
そんな中、法然上人との出会いによって「信ずべし」という他から利せられる道(他力)に出会えて初めて、「帰命」と「南無」の歩みに立つ事が出来ました。

忘れることを忘れさせない他力の言葉

親鸞聖人が書かれた「正信偈」は「帰命」と「南無」から始まります。
どちらも「敬います」「大切にします」という「誓いの言葉」です。

私たちも、人生の節目で「誓いの言葉」を述べた事があるでしょう。
入学式や卒業式、就職や結婚。
また大事な人と出遇った時や、大切な方と別れた時など、自分の中から決意や、大切にしていきたい事がわき起こり、誓いにまでなった事があるのではなでしょうか。
親鸞聖人もまた、本当に求めていた道、出遇いたかった人に会えた事によって、「帰命」や「南無」と誓いを立てる者にまで成れました。

しかし人間の悲しい事実として、あれほど感動して誓いを立てたにもかかわらず、日常のあらゆる雑音が心を濁し、大切な誓いを忘れてしまうのです。これを五濁悪世(ごじょくあくせ)と言います。

①善を主張し合う世は争いを引き起こし、
②正しくものが見れなくなると、
③貪る事にしか救いを見出せなくなります。
④そこには向き合ってくれる友など存在しません。
⑤そして気が付けば何に頑張って来たのか分からなくなって、
依り処の無い空しい今を生きるしかない五つの濁(にご)った悪い世(五濁悪世)になると、お釈迦様は言い当てられています。

これが自力の世界の姿です。

しかし親鸞聖人は、法然上人に出遇うまで、五濁悪世にいながらその事が分かりませんでした。
自分は自力の限りを尽くして頑張っているんだから、この世が悪世であるのは私のせいでは無いと思って修行していました。
その様な私に法然上人は、丁寧に七高僧方の挫折と善き人との出会いの話しをしてくれました。
そしていつでも自分を立てて、誓いを忘れてしまう私に、「可信(信ずべし)」(常に教えに聞きなさい)と促し続けてくれる他力(他から利せられる)の世界を教えて下さいました。
忘れることを知った親鸞聖人にもう迷いはありません。

「可信」は終わりの言葉ではなく、改めて「帰命」「南無」と誓いを立てる他力の言葉なのです。

関連記事