サンガの建設105
「情報」で変わる心の現在地 ②
安倍元首相が銃撃されてから、宗教についての問いを多く頂きます。
「本当に地獄はあるんですか」「サタンはいるんですか」「何故洗脳されてしまうのか。私なら絶対大丈夫」などなど。
洗脳される人もそうでない人も、人には「罪福心(ざいふくしん)」という心があります。
「罪」(損になる事)を恐れて、「福」(得になる事)を求める心です。
言い換えれば誰の中にもある、得になる事しか信じない心です。
例えば「ヒザの悪い人が、この薬を飲めば治ります」と言われ続けたとしましょう。
健康な人は、見向きもしないでしょうが、事故や老いによってヒザが悪くなったら、不自由な現実から抜け出すためにその薬が欲しくなるでしょう。
しかし治りが悪ければ不安になります。
その時に、「少し高いけれどももっと効く薬があります」と勧め続けられれば、不自由である事の辛さから求める事になるでしょう。
これは例え話しですが、罪(損)を恐れ、福(得)を求める心を強く利用されると、その事ことから離れられなくなるのです。
人生にはこれとよく似た事が起きます。
大切な人が、想定外の亡くなり方をした。
何が何でもクリアしなければならない問題がある。
大切な人を振り向かせたいし守りたい、またその反対に嫌な人を遠ざけたいし消したいという気持ちが強いときがあります。
自分の力ではどうにも出来ませんが、ある情報が入ってきます。
「あなたの現状が不自由で辛くて思い通りにいかないのはね、何代も前の方が苦しんでいるからか、あなたの出生や関係、または行いに原因があります。でも大丈夫。必ず福・得に転ずる道がありますよ」
と、見えない世界や、全く真実性のない事でも、何度も何度も耳元で囁かれ続けたらどうなるでしょうか。
ヒザの薬の様に求めてしまうのではないでしょうか。
それとも絶対に求めないという根拠と依り処が私にあるでしょうか。
ある先生が言われました。
「不自由と不幸を混同してはなりません。不自由なあなた自身を生きれば良いのです。不幸(罪・損)を嫌う心が迷いを生むのです。迷いの心に変な「情報」を入れないようにするには、私自身に出遇わせる教えをいつも聞いていなさい。」
ヒザの薬やなら良いですが、心の薬は良くも悪くも人生を変えてしまいます。