あとがき(2022年3月)
●ロシアによる戦争が始まった。連日報道される中で、死者数と避難者数が増える。攻撃する側もされる側も、それぞれが自分の正当性(善)を主張し攻撃し合う。当たり前だが、その時は必ず相手は不当(悪)である。死者数や避難者数を見て反省し、「俺がやり過ぎた。御免なさい」とは絶対に言わないし、思わない。むしろ何故俺が謝らなければならないのか、悪いのは向こうだと善を主張し、またまた死者数も避難者数も増える。一旦そういう事になると後戻りできなくなる。人が「数」になり、「いのち」が見えなくなる
●親鸞聖人とお弟子の唯円との、こんな対話がある。「あなたは私の言うことを信じるか」。「何でも信じます」。「では千人殺しなさい。往生は確実です」。「あなたの仰せでも、私には人を殺す器量はありません」「あなたが殺せないのは、器量ではなく縁がないからです。良い人と悪い人がいるのではなく、縁が整えば、殺したくないと思っていても百人千人を殺してしまう業縁を生きているのが私なのです。器量(善悪)で人を量る人ほど危ないのです」
●ロシア・ウクライナ問題については、早期の収束を願うばかりだが、この問題から学ばなければならないのは、誰もが持っている人間の器量(善悪)の危うさ